はじめに概要

2015年9月熊本県のラブホテルにて当時3ヶ月の赤ちゃんに覚醒剤を投与したとして殺人罪で起訴され、現在は大分刑務所に無実の罪で服役中である。
■裁判では物的証拠もなく有罪判決を言い渡されてしまった。しかし、亡くなった赤ちゃんは、当時の吉村の知人女性の連れ子であり、この3人でラブホテルに行った。
しかし、吉村は疲れておりすぐに眠り、知人女性から赤ちゃんが動かないと起こされたのである。吉村が寝ていた場所も同じベッドではなかった。その後なぜか吉村だけが殺人の疑いをかけられた。
■吉村は知人女性の指示により赤ちゃんの異常発覚後に覚醒剤と注射器の廃棄をするように言われた。覚醒剤が捜査機関に見つからないようにするのはある意味(犯罪には変わりないが)では合理的だが、よく考えてほしい。我が子の一大事にそんなことに頭が回るのか?しかも吉村にあえて指示した意図は何だったのか。あらゆることを想定、仮定しており冷静沈着とも思える。しかし、所詮はその場しのぎの浅知恵である。後に供述に苦しむ場面もあったろう。つまり、一貫性と整合性がないのだ。
■知人女性はある人物に「自分がやったと」言っているそうです。他にも知人女性がやったと伺わせる証言もある。
やっていないならば、自分の大切な赤ちゃんの眠っている熊本県にいてもいいのではないかと考えることもできる。
そして現在は行方をくらましているのである。
吉村の人物像と短所と長所を記します。
短所について
1.自分の考えを押し付けてしまう部分がある。
2.覚醒剤という違法薬物を使ってしまう心の隙間がある。
3.気に食わないことに関して、意地を張ってしまう。
4.これは当初から反省をし、このホームページの「吉村の偽りのない心境、思い」のページにもあるとおり、被害者の悠真くんに対し「ご遺族の方には、悠真が亡くなる一因を形成したことに対して衷心よりお詫び申し上げます。」と反省の気持ちは充分に伝わってくるが、覚醒剤を使用していなければ、本件事件が無かったこと、尊い小さな子が亡くならずにすんだことには変わりがないので、吉村自身が言われなくても分かっているとおり、今一度、
何度でもその点は反省をしてほしい。
5.若かったとはいえ、十代から素行の悪さが目立ってもいた。
長所について
1.自分の考えをしっかりともっており、決して無駄に良い意味で群れたりしない自分の本当の芯の強さがある
2.決して自分にも人にも嘘をつかない。とくに一番欺きやすい自分に嘘をつかないことはよっぽどの信念がなければ出来ない。
この自分に嘘をつかないことほど人生で難しいことはないと皆様もお分かりになっているかと存じます。
3.吉村は収監中も時間を無駄にすることなく、様々な資格を取得したり、現在も新たな資格取得に向け精進をしている。
4.吉村は自分の不遇より、悠真くん、支援者の皆様方、ご家族、自身の元妻、子供達などのことを一番に考え、いわゆる模範囚の 模範囚しかできない刑務作業を任されている。
刑務所は完全に事細かに受刑者を評価する。つまり、それは刑務所が吉村を信用している証ともいえる。吉村は早く出所したいためではなく、吉村の嘘、偽りのない天性の素質を刑務所が認めたからである。
5.彼は事件に対して当然否認をしているため、仮釈放は難しいのです。ほとんどの被収容者は仮釈放のために刑務作業などを頑張るものです。しかし、吉村は無実にも関わらずそれでも刑務作業を頑張っているのです。亡くなられた赤ちゃんのため、支援者の方のため、ご家族のために。
総括
吉村は頻繁に当時の自身の愚かさと共に、被害者の悠真くんに対しても自分がそのとき違う判断をしていたらなどと、書ききれないくらいの後悔をしています。決して自分を優先せずに、悠真くん、ご家族、支援者の方、実子達、元妻にも反省の念を日記にたくさん書いているのです。吉村は立派になったのではない。本来の吉村の良い部分の気質が皮肉にも、今回の件で覚醒したのです。
脚色はしません。吉村に怒ったこともあります。言い訳は一切なかったです。今は施設でも仮釈放の可能性が無いに等しいながらも、重要な作業を任されている。そして、勉学にも励み順調に様々な資格に合格をしている。つまり、事件後は何が大切かを痛感したのである。吉村を従前よりご存じの方は驚くだろうが、良いほうに吉村は変わったのである。
悪い吉村、良い吉村の両方がいます。これは、人類共通です。決して法に触れることがない人生を送っているのはごくごく一部でしょう。私だってそうです。
吉村の反省点や、頑張りが建前だけでは決してないことを、私、平松健太が保証をします。
最後に吉村には「良い人生だった」と自分の最後の日に言えるように、残りの人生を精一杯に翔け抜けてほしいとおもいます。
※この吉村の人物像は、当会会長、平松健太の客観的視点からのものです。
吉村が語る自己の評価
性格は自己中心的かつ天の邪鬼で、極めて負けず嫌い。そして短挌的。事件当時は不義理を重ね、あまりの行儀の悪さに誰もが忌避(※きひ「嫌って避ける意味」)した。仕事においても責任感の欠片もなく、社会性は微塵もなかった。ふりかえるだけで 忸怩(※じくじ「深く恥じ入るという意味」)たる思いで身を搔きむしるほどだ。だが、後悔ばかりの人生とは決別するために改心した。毎日朝起きて自分を恨むところから始まる。むろん寝る前だって。なぜ自分はあんなにも大愚(※たいぐ「大いに愚かなこと」)だったのかとあの頃の行いを猛省する日々だ。冷静に物事を考えられる今となっては、当時の自分は正気を失っていたとしか説明がつかないほど傍若無人な振る舞いをしていた
※以外は、吉村本人の原文ママ
大分刑務所正門側 はためく日の丸と緑十字

その他正門前
大分川側から見た施設 いわゆる居室棟や作業をする工場らしきものが見える